2023/02/23
更新
EV. Cafe 超進化論 |
村上龍+坂本龍一 |
進化の予感!
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【発行】1985.11.28/講談社
【ISBN】4-06-202417-9
【価格】¥1,500
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【分類】鼎談
【総頁】3(53〜55)
【判型】四六版(190*130)
【写真】0(0)
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【目次】
Stage 0 快感 |
7 |
時代という現場 |
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日本的な音楽の土壌への拒否 |
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音楽の快感原則 |
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吉本隆明への危惧 |
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戦争回避による欲望のはけ口 |
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コンピュータ・グラフィックス的操作の時代 |
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Stage 1 表現 吉本隆明 |
41 |
音楽と言葉の差異 |
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聖域としての音楽 |
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中島みゆきの音楽 |
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女性が子を産む強さ |
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中上健次の困難き |
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言葉の自壊作用 |
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ポップの波 |
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父権社会の崩壊 |
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母性の喪失 |
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人間には内部はあるのか |
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言語の内部と外部 |
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テクノロジカルな操作が表現 |
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物語の解体の果て |
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Stage 2 生物 河合雅雄 |
97 |
サルから見た人間の実像 |
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なぜ人は二本足で立ったか |
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性と攻撃性 |
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三五○万年のうちの一万年 |
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狩猟民の時間 |
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分子レヴェルでの思考 |
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「考える脚」 |
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Stage 3 金属 浅田彰 |
133 |
『構造と力』が興奮させるもの |
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経済の破綻をまねくカリスマ |
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国際通貨のギャンブル性 |
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経済ネットワークのリアリティー |
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アメリカ文化の面白さ |
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異種交配から生まれるもの |
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この時代に戦略が立てられるか? |
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アメリカと日本の差異 |
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高橋悠治とグレン・グールド |
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メタリック音のもたらすもの |
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高エネルギー振動から溶解へ |
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日本的平準さを破るもの |
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Stage 4 外部 柄谷行人 |
199 |
日本的ポストモダンの中で |
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コカ・コーラは思想だ |
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消費社会での情報と差異 |
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神秘主義へ導くもの |
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民主主義とチューインガム |
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批評の権力意識 |
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内面のない苦しみ |
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マシーンとしての自己 |
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アメリカ的とヨーロッパ的 |
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アメリカの底力 |
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日本的普遍という制度 |
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外部の獲得 |
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パラドックスとしての独創性 |
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Stage 5 凡庸 蓮實重彦 |
247 |
映画と日本人の顔 |
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進化と凡庸 |
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一流志向の脆弱さ |
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逡巡と排除 |
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コッポラの混乱 |
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ゴダールとマキノ |
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言葉における「制度」 |
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匿名の声として響くもの |
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映画の顔と音楽の声 |
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多様性のなかの人生 |
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Stage 8 速度 山口昌男 |
289 |
今は往年の名スター |
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小錦スキゾ力士論 |
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周縁理論と落書マンガ |
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ヒューマニズムは陰謀だ |
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ブラジルは世界最後の救い |
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欲望全肯定の暴力 |
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カーニヴァルの都市 |
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スピードとリズムのファシズム |
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Stagee X 序走 |
323 |
エレクトロニクス・ゲリラによる情報の撹乱 |
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「ブレードランナー」における神の復活 |
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ハイパー・ムービーの出現 |
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テクノロジーと超プラトニズム |
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三五○万年の記憶 |
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核時代の新人類の予感 |
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テクノロジーと一神教 |
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物語の不健康さ |
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テクノロジーの回避としてのアジア主義 |
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超情報社会の新日本主義 |
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ソフトなシステムとしての天皇制 |
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日本は大規模集積回路 |
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近未来のユダヤ教と天皇教 |
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注索引 |
365 |
図版リスト |
366 |
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作家・村上龍とミュージシャン・坂本龍一が現代日本を代表する5人の思想家をゲストに迎えて様々な疑問をぶつけた雑誌「IN・POCKET」連載の鼎談シリーズ。批評家の吉本隆明との音楽と言葉についての話の中で、吉本は中島みゆきを「演歌の天才」と絶賛し、坂本は「音楽を感情表現の道具にしている」などと評している。
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★★ |
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